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研究集会・大会昭和文学会2010春季大会
*昭和文学会会員以外の方でも、無料・申込不要にて参加できます。 『浅草紅団』の断層 田口 律男 織田作之助の〈大阪〉――土地を記述するということ 尾崎 名津子
軽井沢と文学――理想郷を希求する言説空間―― 小松 史生子
※ 研究集会終了後、懇親会を予定しておりますので、皆様ふるってご参加下さい。 報告要旨『浅草紅団』の断層 田口 律男
田口 律男
『浅草紅団』には関東大震災とその復興の痕跡がいたるところに刻み込まれている。とくに「大正大地震」の副題をもつ弓子、姉の千代子、赤木をめぐるシークェンスには顕著である。三者はねじれた愛憎関係で結ばれており、それがこのテクストを謎めいたものにしているが、その起源に大地震による破壊とダメージがあることは明らかである。また、復興する浅草にたいする眼差しにも、モダニズムの一語では片付けられないものが含まれている。故前田愛は、「破壊の衝動を内に秘めた「地震の娘」でありつづける」弓子に注目しつつも、『浅草紅団』を、「劇場としての浅草、一九三〇年の劇場都市TOKIOを描いたものがたり」と集約した。ここに不足しているのは、震災/復興がもたらした「断層」、その構造と力に対する目配りではないだろうか。3・11以後の読者のひとりとして、『浅草紅団』を震災後のテクストとして読み返してみたいと思う。なおこの考察は、論者の「都市テクスト論」の一部を構成するものである。
(龍谷大学経済学部)
織田作之助の〈大阪〉――土地を記述するということ 尾崎 奈津子
織田作之助は所謂文壇へ登場する契機となった『夫婦善哉』を昭和十五年四月に発表して以来、約七年間の著述期間で一貫して「大阪」を描いたといえる。その土地の表象は〈東京=中央〉の対立項としてある、と作家論的な視点から指摘されてきた。だがそれは主に、織田の評論や随筆に依拠したもので、小説に仮構される〈大阪〉はまた位相が異なり、そこにはまだ検討の余地がある。
本発表では『世相』(「人間」昭和二十一年四月)を中心に考察する。本作にも大阪の地名・風物が連記されており、そのことが先述した評価につながってもいよう。しかし戦中/戦後の時間が輻輳的に描かれる作品の構造と合わせてみると、〈大阪〉を〈書くこと〉はテクスト構成上の方法論的戦略だったと考えられるのではないだろうか。また『世相』における土地の表象は、それ以前の作品のものと異質だとも指摘できる。これらの視点から、記述される土地・〈大阪〉に検討を加えたい。
(慶応大学通信教育部)
軽井沢と文学――理想郷を希求する言説空間―― 小松 史生子
軽井沢が避暑地として〈発見〉されたのは明治十九年の頃、引き続いて明治二十六年に碓氷線が全通し東京からの便利な避暑地として拓かれて以来、大正、昭和を通じてこの地は文学者を惹きつけてやまない高原の理想郷イメージを強固に形成していった。箱根や伊香保、日光、富士湖畔等と異なり、軽井沢は最初は外国人宣教師による見立てによって風景が発見され、後にそれを文学者が豊かな言語イメージによって理想郷としての〈高原〉にまで高め、追随して実業家がその幻の高原風景を地道に現実化していったと言える。そこからは、やがて旧軽井沢と信濃追分、北軽井沢との対比に見られるような知識人階層とブルジョア階層との確執・棲み分けも生まれ、地元民の感情も加わり、一口に軽井沢文化圏とくくれない複雑な言説様態をかいまみることができる。
発表では、以上の経緯を簡便に紹介しながら、こうした軽井沢に形成された避暑地文化の言説様態を大正〜昭和期の文学が如何に取り扱ってきたのかを中心に考えていきたい。
大会の主旨
会務委員会
わたしたちが現在、ある特定の〈土地・地域〉に抱くイメージは、さまざまな力関係のなかにその〈土地・地域〉の特異性が投げ込まれてできた記憶そのものである。しかしその特異性もまた、〈土地・地域〉の歴史、神話、伝承の言葉とないまぜになった、虚実の曖昧な境界線上に置かれた記憶を前提とする。ある特定の〈土地・地域〉をめぐる〈記憶〉を土壌とした文学の言葉を検討することは、その〈土地・地域〉を、ある〈共通の場〉として創造・編制する力と関わる言葉の運動性を明かすことである。
〈昭和文学〉という観点は、〈中央〉が統御する政治の力のみならず、より普遍的であるがゆえに根本的な流動性を帯びた資本の力と交差する、〈土地・地域〉のイメージ生成の再検討を要請する。さまざまな角度から行われる模倣、反復という運動のなかで、政治的な力と同じく、〈共通の場〉の輪郭を拡張していくものとして文学の言葉をとらえること。その上で、資本の力により〈共通の場〉に蓄積される虚構性との葛藤を刻むものとしても、文学の言葉をとらえ再検討すること。それが本大会の主旨である。
長野まゆみ論――女性読者との共同性を手がかりに――
井内 美由起
本発表では、長野まゆみ『テレヴィジョン・シティ』(一九九二)『カンパネルラ』(一九九三)『超少年』(一九九九)を中心に、これらの作品から読みとれるテーマや問題意識を、女性読者との共同性という視点から検討したい。長野の読者はほとんどが女性である。長野はファンクラブを持ち、作品のモチーフをグッズにして売る、自ら装画やイラストレーションを手がけるなど、様々な方法で読者とのつながり、および読者同士のつながりを演出してきた。また、先行研究において指摘されているように、長野の作品には少女マンガからの影響や、いわゆる「やおいカルチャー」との関連など、現代の女性文化との共通点が多く見られる。これらのことから、「女性同士の文学」という今回の特集に新しい視点を提供することが本発表のねらいである。
美術大学の出身であり、デザイナーを経て作家になった長野にとって、小説を書くことと絵を描くことは同じ目的を持つようである。作者自身による装画はこれまで出版された本の半数を占め、装画と文章は密接な関連を持っている。また、先に挙げた三作は、絵画やテレヴィジョンのモチーフが作品内において重要な意味を持つばかりでなく、作品と読者の関係の隠喩としても機能している。これらのモチーフを読み解くことによって、女にとっての書く/読むことの意味を浮かび上がらせてみたい。
女性たちの読む三島由紀夫文学――昭和三〇年代の連載小説を中心に――
武内 佳代
終戦後、早くも女性誌が主婦向けを中心に相次いで復刊、創刊されていた頃、三島由紀夫は川端康成の推挙を得て短篇「煙草」(四六年)で戦後文壇に名乗りをあげた。だが『仮面の告白』(四九年)で出世するまでにまだ三年をまつ。その間、三島は一九四七年の『婦人画報』での掲載を皮切りに、四八年には『令女界』『マドモアゼル』『婦人』『婦人文庫』『婦人公論』、翌年には『女性改造』というふうに、様々な女性誌に作品を発表している。
さらに一九五〇年、自身の初めての連載小説『純白の夜』を『婦人公論』で連載すると、六六年までに合計一一本もの小説連載を各女性誌に持っていく。つまり三島は戦後出発期から晩年の『豊饒の海』の連載時期にいたるまで、女性読者向けに創作活動をし続けていたのである。しかし管見の限り、従来三島由紀夫文学といえば、男性読者を中心とした文芸誌や総合雑誌に掲載された作品ばかりが評価、研究の対象とされ、そのような女性読者向けの作品にはほとんど目が向けられてこなかったように思われる。
そこで本発表では、流行語を生みだした『永すぎた春』(五六年)をはじめとする昭和三〇年代の女性誌を飾った三島文学作品、換言すれば、昭和三〇年代の女性たちが共有した三島文学作品を中心に取りあげ、改めて考察を試みる。それらの作品と、同時代的な女性問題やジェンダー規範との関連などを検討することで、女性読者に向けられた三島文学の戦略性や批評性を明らかにしてみたい。
尾崎翠と女性文学のモダニズム
川崎 賢子
尾崎翠テクストにおいて、女性性は自明のものではない。たとえば「第七官界彷徨」(一九三一)における(植物の)生殖、遺伝、進化論、精神分析学の言説にしても、性を生得的なものとして自然に還元するよりは、性言説における人間中心主義を攪乱させるものだ。「第七官界彷徨」とゆるやかに連なるテクスト群において、読者は、ジェンダーおよびセクシュアリティの位相における女性性/男性性の境界の揺らぎや、女性性の周縁領域の拡張や、性別役割の交換・反転が、物語を展開する装置として機能することをみとめずにはいられない。尾崎翠テクストは、その女性性の表象と言説とを分析するものに、およそ女性的なるものに対する懐疑と批評性を失わず、複数性としての女性性という前提を意識することを要請する。したがって、女同士という組み合わせの意味するところも、男性性/女性性の二項対立図式でのみ解読されるのでは足りない。一方、後年の解読の枠組みにとらわれた読者からは見逃されがちであるが、尾崎翠テクストの言説と表象は、いわゆる昭和モダニズム期の表現においてかならずしも孤立したものではなかった。それを念頭に置かなければ、尾崎翠(一八九六‐一九七一)の歴史的位置づけや相対化はむつかしい。本発表においては、尾崎翠テクストにおける女性性の複数性について、「妹」「娘」「孫娘」「母」「祖母」「女友だち」「読み書きする女」等にあたりながら、表現の水脈のなかで彼女たちの場所を探りたい。
「雑沓」系列の射程――宮本百合子「雑沓」「海流」「道づれ」をめぐって――
池田 啓吾
宮本百合子の連作「雑沓」(一九三七年一月)「海流」(同年八月)「道づれ」(同年一一月)は、当初三部構成を予定していたが、第一部の途中で執筆禁止にあい、そのまま完成されることはなかった。しかし、ここにはそれ以後の作品からは失われてしまった可能性があったのでないか。「社会の各層の縦断」(宮本顕治宛書簡)を目論んだこれらの連作は百合子の他作品と様子が違っている。女学生の宏子を中心としつつ、その母、学生活動家、デパート店員など、焦点人物が次々と変わっており、宏子の家庭はやがて『二つの庭』に描かれるのと共通の題材を扱っている。こうした自伝的な題材の中に、「だるまや百貨店」や「舗道」で描いた女性労働者が登場し、百合子が三〇年代に作り上げた作品世界が取り込まれている。だが、それぞれの世界は並列したまま溶け合うことなく作品は中絶された。前後の作品との関連を検討しながら、戦後の作品では失われてしまった可能性を考えてみたい。
動揺する語り手の位相 ――佐多稲子「分身」をよむ
鳥木 圭太
佐多稲子「分身」(『文芸春秋』一九三九年七月、『文芸』一九三九年九月)は、日中戦争期の日本(内地)で中国と日本の「混血児」である主人公のアイデンティティの動揺と日常の葛藤を描いた小説である。
この作品は母と娘の確執を物語の縦糸に、そこに「混血児」であることの困難さが織り込まれていくが、本発表ではそうした「母と娘」の私的な物語が、〈非常時〉を形成する言説の枠組みへ回収されていく過程を考察し、そこに現れた〈他者〉表象と語り手の位相の動揺との連関を読み取り、左翼運動崩壊後の知識人の主体形成の試みの多くがなぜ「外地」を志向したのかを明らかにする。特にこの問題は、事変下の日本の社会状況において、多くの転向作家たちが戦争を内面化していく問題とも密接に結びついていると考えられる。
本発表は、昭和一〇年代の重層的に生起する言説状況の中でテキストが成立した背景を読み直し、複雑に絡み合う同時代の様相の一側面を浮き彫りにする試みである。
シミュラークルとしての「憂国」――コピーし/されていく物語――
中元 さおり
三島由紀夫の死後、「憂国」(『小説中央公論』昭和三十六・一)は三島の行動や政治的な態度と関連づけて論じられてきた。また、三島が作品を後追いするかのように「憂国」の世界に接近していくことも指摘されてきた。特に「憂国」の映画化(昭和四十年制作、四十一年公開)は、言語形式から映像形式へと表現様式を変えて自己模倣し、「憂国」という物語を再生産する試みであったように思える。また、この試みの先に、晩年におこなわれた切腹写真の撮影も位置づけられよう。本発表では、このような「憂国」をめぐる反復の経緯をおさえたうえで、切腹表象を手がかりにして「憂国」という作品自体が含み持つ〈模倣性〉を明らかにし、「憂国」がさまざまなコピーの集積体であることを論じたい。また、自己模倣を繰り返していくなかで立ち現れてくるシミュラークル的存在としての三島の一面を提示したい。
津島佑子『あまりに野蛮な』――植民地台湾をめぐる記憶と想像力――
川原塚 瑞穂
一九三〇年に台湾で起きた抗日蜂起事件「霧社事件」を扱った津島佑子『あまりに野蛮な』(二〇〇八)は、枠物語の構造をしている。一九三〇年代に植民地台湾に生きた女性の手紙や日記、それを手に二〇〇五年に台湾を旅する姪が想像で補った物語、そして旅を続ける姪自身の物語、さらに二人の物語を「あなた」に届ける「わたし」という語り手が設定されている。このように多層的な構造のなかで、二人の女性のみならず、霧社事件の首謀者とされる男性やその娘、客家系の台湾人の男性や「原住民」の女性など、さまざまな立場の人間たちの声、記憶、夢が響きあい、ときに交じり合う。夢と現実、過去と現在が入り乱れるマジックリアリズム的手法は、津島文学の得意とするところだが、その交錯が本作の中で植民地やジェンダーをめぐる権力構造とどうかかわり、文明/野蛮という二項対立をどう読み替えていくのか考えたい。
幽霊・異星人・失踪者―SFの時代と安部公房
波潟 剛
自分はなぜ安部公房とSFの関係について論じてこなかったのか。当時は先行研究が少なかったからといってもあまり説得力はなく、やはりどこかで純文学とSFとの区別をしていたのだと思う。いま、あらためてこの課題と向き合うならば、一九五〇年代後半の創作における変化期が、彼のSF創作の開始と重なっている点で注目に値する。今回は短編「使者」(一九五八年)と、その後長編になった『人間そっくり』(一九六七年)を軸に考えてみたい。火星人と自称する人物をめぐる物語である「使者」と、ほぼ同じ時期の戯曲『幽霊はここにいる』は、その存在が疑問視される不確かさが中心となって展開する点で共通している。また、テレビドラマ版を経て長編となった『人間そっくり』の場合も、『砂の女』(一九六二年)をはじめとする失踪者の物語と同様、不在者をめぐる問題を追及しているといえる。こうした共通点を検証し、新たな安部公房文学の視座を提示できるよう試みたい。
疎外による超越の臨界点―三島由紀夫『美しい星』と大江健三郎『ピンチランナー調書』
山崎 義光
常識や自明なものを覆す「危険なこと」を「言葉」「文体」によって表象することを「文学」の要件とする三島は、この意味でSFへの期待を表明し、キューバでの核戦争の危機が報道された六二年に『美しい星』を発表している。『美しい星』では、無為無力から反転し「宇宙人」であると自覚した大杉一家と羽黒一派が、核による終末論的な世界の帰趨について議論する。一方、三島(文学)に対する批評を一つのモチーフとした大江には、息子と父がそれぞれ二十歳成長し、若返る「転換」を起こし、「宇宙的な意志」による使命を自認して、核をめぐる闘争劇に加わる『ピンチランナー調書』(七六年)がある。無為無力な生、障害を負った生という疎外を契機として超越論的な立場を獲得するというSF的奇想を導入して、核による終末論的なヴィジョンと実存の関係を両作品がどう展開した
か、「核時代の想像力」の臨界点について考えたい。
笙野頼子的想像力の冒険――意識・身体・感覚――
中川 成美
近代科学の進展によってもたらされた近代社会にあって、サイエンス・フィクションという文学ジャンルは、かつて人間はいかなる未来のヴィジョンを夢見たかということを可視化する機能をもっている。ヴェルヌやウェルズが描いた世界は破天荒なほどに現実味を逸したものであっただろう。しかし、現代、それらの幾つかは現実となり、なお私たちの想像力の範囲を超えて「伸展」しようとしている現状を見るにつけ、果たしてそれらをSF的想像力(虚構・非現実)として放置してしまっていいのだろうかという疑問にとらわれてならない。
笙野頼子は、SF的想像力として造られた疑似未来から現在をみようとする。歴史的過去となってしまった「いま」は奇妙な歪みを生じて、自明性の中にどっぷりとつかりこんだ私たちをうろたえさせる。本発表では笙野の旺盛な内的想像力に支えられた90年代の作品群を中心に、「過去」(虚構である事実)となった「いま」(事実である虚構)がどのように登場人物の意識や身体、感覚の現実を構成していくかを分析し、笙野頼子における文学的想像力の問題について考えてみたい。
【講演者紹介】高橋 源一郎
一九五一年、広島県尾道市生まれ。横浜国立大学経済学部除籍。作家。翻訳家、文芸評論家、明治学院大学教授などの顔も持つ。一九八一年、「さようなら、ギャングたち」で群像新人長篇小説優秀作を受賞し、デビュー。パロディや引用を駆使し、超現実的世界を独創的な文体で描く。一九八八年、『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、二〇〇二年『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞を受賞する。著書に『虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)』(一九八四年、中央公論社)、『ジョン・レノン対火星人』(一九八五年、角川書店)、『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』(二〇〇五年、集英社)他多数ある。新著『「悪」と戦う』(二〇一〇年、河出書房新社)は大きな反響を呼んでいる。
馬場あき子論―『南島』を中心に―
日置 俊次
現代短歌の世界における最大の難問のひとつが、文語と口語の問題である。それは、「現代短歌はどこにいくのか」という根源的な問に結びついている。古典の深い素養を背景とし、文語定型を守り続ける現代歌人も多い。馬場あき子はその代表的な歌人である。しかし、馬場はその長い歌歴のなかで、少しずつ口語表現を取り入れながら、近年は自在と呼ばれる境地に達している。「桃太郎と金太郎と勝負することなしされどああ少し金太郎好き」現在の馬場は、このように口語文脈と口語的破調を意識的に取り入れながら、独自の豊かな世界を展開している。しかしその根幹には、常に文語的発想があるといえるだろう。馬場は、現在第二十二歌集まで完成している(本年、第二十三歌集が発表される予定)。その豊かな歌集群の中から、馬場がついに口語を導入した転回点として、第十二歌集『南島』を中心にすえて、現代を代表する歌人における文語・口語のせめぎあいを探ってみたい。
現代短歌が切り拓いたもの
小林 幸夫
文学の推移やそれに伴う新さを考えるとき、常に問題として浮上してくるのは、連続と非連続の問題である。短歌で言えば、古典和歌と近代短歌、近代短歌と現代短歌、これがどう繋がっていてまた切れているか。感触としては認知できるのであるが、それを言語化するのはなかなかに困難である。この発表では、近代短歌と現代短歌の違いを構造的に明らかにし、現代短歌の特性を指摘して、現代短歌が切り拓いたものとは何か、それを踏まえて短歌はどこに行こうとしているのか、このようなことのささやかな提示を行いたい。この試みの中心点として考えているのは、短歌のなかに存在する〈私〉である。語り手であり、伏在していたり時に顕在したりする〈歌の主体としての私〉である。その〈私〉のふるまいを考えること、さらにその〈私〉と作者の関係を見きわめたい。
【講演者紹介】穂村 弘
一九六二年、北海道札幌市生。上智大学文学部英文学科卒業。学生時代より短歌創作を行い、連作「シンジケート」で注目される。大学卒業後、歌誌「かばん」に入会、また歌壇にとらわれない企画集団SS‐PROJECTも結成。短歌創作、歌論、エッセイなど広い分野で活躍し、広い年齢層から圧倒的な支持を受ける。主な著作として、歌集『シンジケート』(沖積舎、一九八九年)、『ドライドライアイス』(沖積舎、一九九二年)、入門書に『短歌はプロに訊け』(本の雑誌社、二〇〇〇年)、エッセイ集に『にょっ記』(文芸春秋、二〇〇六年)などがある。二〇〇八年五月、第一九回伊藤整文学賞の評論部門を『短歌の友人』(河出書房新社、二〇〇七年)で受賞している。
【講演者紹介】齋藤 愼爾
一九三九年、京城生まれ。高校時代より句作を始め、「氷海」主宰秋元不死男に師事。六〇年安保闘争以降、句作を断念。二十三年の後、寺山修司らと「雷帝」創刊のため再開。一九六三年、深夜叢書社を設立。句集『夏への扉』(蒼土社、一九七九年)、『秋庭歌』(三一書房、一九八九年)。評論集『偏愛的名曲事典』(三一書房、一九九四年)、『読書という迷宮』(小学館、二〇〇二年)、『寂聴伝――良夜玲瓏』(白水社、二〇〇八年)、『ひばり伝――蒼穹流謫』(講談社、二〇〇九年)。編著、監修『現代俳句の世界』全十六巻(朝日文庫、一九八四〜八五年)、『二十世紀名句手帖』全八巻(河出書房新社、二〇〇三〜〇四年)など。
国語/日本語という「ことばの呪縛」を越えて―金石範「虚無譚」を中心に―
楠井 清文
本発表では、「昭和の「国語」思想」を内在的に批判したものとして、戦後の在日朝鮮人文学、特に金石範「虚夢譚」(『世界』一九六九・八)と、同時期に発表された日本語という創作手段に関する一連の評論を対象としたい。
金石範は済州島四・三事件を主題とした「鴉の死」(『文芸首都』一九五七・一二)で本格的活動を始めたが、「観徳亭」(『文化評論』一九六二・五)発表後、在日本朝鮮文学芸術家同盟に所属し、朝鮮語の創作を行っていた。「虚夢譚」は、「七年ぶりに日本語で書いた小説。ふたたび日本語で書くことについて苦しむ」(「詳細年譜」、『金石範作品集U』平凡社 二〇〇五)という執筆背景を持つ。「言語と自由――日本語で書くということ」(『人間として』一九七〇・九)では、張赫宙・金史良の活動を参照し、「日本語による場合の日本的なもの、その感情や感覚への傾斜」が「朝鮮的なものの剥落」を促すという「日本語の呪縛」について述べながら、「朝鮮」という「イデー的存在」を内包することで、「日本語によって例えば朝鮮的なものを――その朝鮮的な感性を土台にして――書きうる」と結論づけている。従って金石範の日本語小説を、「呪縛」を克服しようとした試みの形象化と捉えることができる。
従来「虚夢譚」については、「朝鮮のはらわた」を失うという夢のモチーフが、「日本への同化」が進む在日朝鮮人のアイデンティティという問題と関連づけて論じられてきた。しかし本発表では、夢が契機となって蘇ったRの敗戦体験、そこでの「断絶感」に注目して、日本人の「共有感」と異なった記憶の空間を表現している点を考察したい。
〈汚名〉について―山田孝雄の思想における〈統覚〉の位置―
西野 厚志
かつてイ・ヨンスク氏は、近代以降の日本語学史を「国語学/言語学」の対比で描き、そこに「「日本」対「ヨーロッパ」、そしてそれに連なる「伝統」対「近代」という、日本の近代意識をさいなみつづけた巨大な問題」を重ねてみせた(『「国語」という思想』)。前者を体現する時枝誠記と山田孝雄、時枝については安田敏朗の詳細な批判がある一方、吉本隆明から柄谷行人、東浩紀にいたる批評家たちがそろって言及するという現象がある。では、山田孝雄はどうか。様々な領野で多くの業績を残しながらも、戦後公職を追放されたという汚辱に塗れた「国粋主義者」、その思想の全容解明と本格的な批判はいまだなされずにいるのが現状だ。
本発表では、富山市立図書館山田孝雄文庫での調査をもとにキー概念である〈統覚〉に着目し、その思想の核を描出する。最終的には、近代以降進行した「言文一致」に関する批評的言説に接続したい。そこには、イ・ヨンスク氏が言うのとはまた違った、〈近代〉という問題の存在が確認できるだろう。
言葉にとって〈霊〉とは何か―保田與重郎の言語認識
五味渕 典嗣
言語にかんするすぐれて原理的な認識を含むエッセイである「日本の橋」(『文学界』一九三六・一〇)は、なぜ、比較文化論めいた体裁で記述されているのか。この一見単純な問いは、日本浪曼派の言説戦略という問題だけではなく、「昭和の「国語」思想」を考える際にも、一つの補助線となり得るのではあるまいか。
初期保田與重郎の言語観に、国学者・富士谷御杖にかんする土田杏村の所論や、ごく早い段階でのソシュール言語学の援用が看取できることは既知のことがらに属するが、本報告では、「日本の橋」へと至る保田の言語認識を概観しつつ、一九三〇年代の文学言説としての同時代的な問題性を確認するところから始めたい。その上で、言語の表象性に対する懐疑をたびたび表明し、自らにとっての文学的課題とも見なしていたはずの保田が、なぜ・どんな筋道で、〈日本〉という記号を導入/要求することになったのか、という点についても、わたしなりの検討を加えてみたいと考えている。
【講演者紹介】イ・ヨンスク
韓国全羅南道順天市生まれ。延世大学校文科大学卒。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。現在、一橋大学大学院言語社会研究科教授。専攻は社会言語学。著書にサントリー学芸賞受賞の『「国語」という思想――近代日本の言語認識』(一九九六年、岩波書店)、『異邦の記憶――故郷・国家・自由』(二〇〇七年、晶文社)、『「ことば」という幻影――近代日本の言語イデオロギー』(二〇〇九年、明石書店)。
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